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無線通信の歴史

はじめに

みなさんは,このウェブサイトを,スマホで見ていますか?そうでない方も,殆どの方が,スマホや携帯電話を便利に使っていると思います.

どうして,線も何もつながっていないのに,手元の小さな機械だけで,世界中と情報をやり取りできるのでしょう?そこには,150年以上に渡って積み重なってきた,「無線通信」の技術の粋があるのです.

今日は,いくつかの実験やエピソードを通じて,その技術革新の歴史をたどっていきましょう.

電磁波の発見と予言

James Clerk Maxwell Heinrich Rudolf Hertz

最初に「電磁波」というものの存在に気がついたのは,スコットランドの理論物理学者,マクスウェル(Maxwell)でした.マクスウェルは,これまで実験によってバラバラに得られていた電気や磁気に関する幾つもの法則を,たった4つの洗練された数式にまとめたのでした.そしてそれらの方程式から,電気と磁気の相互作用によって光の速さで伝わる波,「電磁波」が存在することに気が付きます.1864年のことでありました.(実は,光は電磁波の一種なのですが,当時それは知られていませんでした.ですがこの速さの一致からマクスウェルはそのことをも予想していたようです)

しかしこの電磁波,目に見えなければ身体にも感じません.本当に存在するのでしょうか?それに答えるには,実験して,確かめるしかありません.1886年,ドイツの物理学者,ヘルツ(Hertz)は実験を開始しました.そして,火花放電によってもたらされた「電磁波」が,離れたところにある金属の装置(私達が『アンテナ』と呼んでいるものです)で検知できること,その「電磁波」の速さが光の速さに一致することを,実験で証明したのでした.

ちなみに,ヘルツは当時,電磁波の発見についてこう語ったそうです:

この実験は,なにか役に立つものではありません.マクスウェルの予言が正しいことを証明しただけのことです.

しかし,ヘルツが電磁波を実際に発生させ,検知できたおかげで,私達が「電波」を当たり前のように使うことが出来るのです!

「電磁波」と「電波」

この2つの言葉は紛らわしく,間違って使われることも多い言葉です.

「電磁波」とは,上で紹介したとおり,電気と磁気のはたらきによって空間を伝わる波の総称です.

今日,私達があらゆる無線通信に使っている「電波」は,実用的なアンテナのサイズ(数百メートル~数ミリメートル)で検知(受信)したり,発生(送信)させたりできる「電磁波」のことです.その他にも,光(可視光,赤外線,紫外線)やX線なども「電磁波」に含まれます.

また,電波を使った通信のことを「無線通信」または簡単に「無線」と呼んでいます.たとえば,電波を使ったインターネット接続,Wi-Fi は「無線LAN」とも呼ばれます.一方,テレビやエアコンのリモコンは,多くの場合,赤外線を利用しており,「線が無い通信」のですが,「無線通信」とは呼ばれません.

スペクトル

「無線通信」のはじまり

Guglielmo Marconi

ヘルツの発見が世界に知れ渡ると,これを電気通信に使えないだろうか,と考える技術者が現れだします.当時の電気通信は,モールス信号を電線を通して伝える「有線電信」でした.この電線を電波に置き換えられれば,大幅なコスト削減とともにより広範囲に通信網を広げることが出来るかもしれません.イタリアのマルコーニ(Marconi)も,そう考えた一人でした.

マルコーニは,当時すでに実験されていた送信機やアンテナに改良を加え,数百メートルから,十キロ,百キロ,千キロ,……と,通信距離を徐々に伸ばしていきます.そして,1900年,大西洋上の船と陸上局との間を無線で通信する,海上公衆通信の商用化に成功します.有線通信がすでに相当普及していた当時,電線が引けない海上こそ,無線通信の輝く場所でした.

その後マルコーニの海上通信は,翌1901年から1902年にかけて大西洋横断通信に成功するなど,順調な発展を遂げます.かの有名な1912年のタイタニック号沈没事故で,遭難信号である「SOS」を発信した船上の無線局も,マルコーニの通信会社のものだったようです.

なお日本では,1900年に海軍が無線機開発に着手,1903年に国産無線機「三六式無線機」が誕生しています.千キロの通信距離を誇ったこの無線機の活用は,日露戦争の戦況に大きく味方したと言われています.

モールス信号

「トンツー」で知られるモールス信号ですが,無線通信のはじまる前,19世紀から有線通信で使われていました.

そもそも,いちばん早い情報伝達手段が,馬,という時代,アメリカのモールス(Morse)が,高速かつ距離の長い通信手段を,と考え,電気通信を発明したのが始まりでした.

電気通信と言っても,出来ることはスイッチの「オン」と「オフ」だけ.そこでモールスは,各アルファベットと数字に「オン」と「オフ」のリズムパターンを割り当てました.これを人間が手動で送り,人間の耳で聞いて文字に直すことで,文章を電気で,のちに電波で,伝えることができるようになったのです.

情報を符号に置き換えて通信する,というモールスの画期的なアイデアは,現代のコンピューターを用いたデジタル通信へ引き継がれています.

現在,モールス信号は,他の通信方式に淘汰され,ごく一部を除いて実用通信では使用されていません.

しかし,アマチュア無線の世界では,電気通信の伝統技能として,今でも盛んにモールス信号による通信が行われています.交信数を競う「コンテスト」では,ほぼ必ずモールス信号部門が設けられており,一大分野を作っています.また,いかに高速なモールス信号を人間が扱えるか,という,High Speed Telegraphy と呼ばれる競技も行われており,アルファベットの送信 283字毎分,同受信 300文字毎分 の記録があります.

無線電話とラジオ放送

今までの無線通信は「オン」と「オフ」しかなく,モールス信号で情報を伝えるしかありませんでした.もし電波に「声」を乗せて,伝えることができれば,さらに効率的な通信ができるに違いありません.

無線通信の商用化からわずか2年後の1900年、アメリカのフェッセンデン(fessenden)が電波に声を乗せて、1.6 kmの間の通信に成功します.音(声)は空気の振動ですが,発射する電波の強さをその振動に合わせて調節する仕組みを,送信機に組み込んだのです.一方の受信側では,電波の強さの動きを取り出して,スピーカーを鳴らす,という仕組みを取り入れました.

しかし,綺麗に音声を送受信するには,ヘルツやマルコーニが実験で使っていたような火花放電よりも,もっと安定して継続的に電波を作り出す仕組みが必要です.当初は火花放電を継続させるしか方法がありませんでしたが,そのうち真空管が発明されると,電波の安定度が飛躍的に向上し,音声通信の実用化が一気に進みました.

AM ラジオ放送

フェデッセンが用いた,電波の強さを変えることで音声を送受信する仕組みのことを「振幅変調」,縮めて「AM (Amplitude Modulation)」といいます.この方法で音声を放送しているのが,AMラジオ(中波放送)です.

世界初のAMラジオ放送は,1920年にアメリカ・ピッツバーグで開始されました.その放送局「KDKA」は現在もピッツバーグから放送を続けています.

日本では1925年に東京・芝浦から放送が開始され,同年,東京・芝の愛宕山に送信所が移転しています.これが後のNHKです.愛宕山からの送信は1938年まででしたが,その跡地には現在もNHK放送博物館があります.

ちなみに,この愛宕山から南へ700mほど行ったところに,アナログ時代のテレビ放送の送信所であった東京タワーが建っています.

AM ラジオの長距離受信

冬の夜,普段は何も聞こえないはずのAMラジオ周波数から,なにか放送が聞こえる…….そんな不思議な話が,実はあり得ます.

普段はあまり遠くへ飛ばないAMラジオの電波ですが,実は夜間,特に冬場は,遠くまで届くようになります.この現象を「電離層反射による伝搬」と言います.これは,上空数百キロメートルにある「電離層」で電波が反射されることで,電波が地形に関係なく遠くへ伝わる現象です.時には,電離層と地球とで反射を繰り返し,何千キロ先と通信が出来ることもあります.

下の動画では,中国,韓国のAMラジオ放送が受信できています.また,日本各地の放送局が受信できることもあります.知らない周波数でラジオ放送が聞こえたら,その周波数でインターネット検索すると放送局がわかるでしょう.また,放送の中でどの放送局か,どの土地の局かを,言っているかもしれません(NHK局は,放送内容が全国同じになっている時間帯が多いので,耳の情報と周波数の情報が特に大事になります).

また,今回,ライブ配信するアマチュア無線では,この電離層反射を利用し,日本全国,ときには世界中の国々と,通信を行っています.

戦争:レーダーと電子レンジ

20世紀前半,戦争の時代に突入すると,電波の使われ方も多様になります.

もっとも典型的なものが「レーダー」で,これは電波が金属によって反射される,という性質を使い,船や航空機などの存在を調べる,というものです.レーダーには様々な方式がありますが,たとえば電波を短く発射し,跳ね返ってきた電波を受信して,その時間の差から距離を計測することができます.

また,距離だけでなく,方向を調べるには,特定の方向へ電波を送受信する,「指向性」を持ったアンテナが必要です.

1925年に日本の東北大学で研究していた八木,宇田の両氏によって開発された「八木・宇田アンテナ」,通称「八木アンテナ」は,これをごく簡単な構造で実現し,これによって世界的にレーダーの実用性が格段に向上しました.「魚の骨」と形容されるこのアンテナは,今でも世界中の家屋の屋根の上で,テレビやラジオの受信アンテナとして使われています.

また,BS・CS放送の受信用として広く普及しているパラボラアンテナは,小型のアンテナの後ろに皿型の大きな反射板を持っていますが,これも特定の方向の電波を送受信するために設計されています.パラボラアンテナは,現代でもレーダーに使われているほか,放送や電話回線の中継,人工衛星との通信など,幅広く使われています.また,天文の世界では,直径数十~数百メートルのパラボラアンテナが,電波望遠鏡として使用されています.

八木・宇田アンテナはすごい!

「魚の骨」と言われる八木・宇田アンテナですが,金属素子を平行に幾つか並べただけ,という,非常にシンプルな構造ながら,その威力は絶大です.指向性があるということは,送信時には一方向に電波のエネルギーを集中でき,また受診時にはその方向の電波をより強く拾うことが出来るからです.

八木アンテナの指向性がよくわかる実験をしてみました.簡易的な受信機がカーテンのように吊り下げられており,電波が当たるとLEDが光ります.アンテナの向いている方向にだけ,電波が発射されていることがわかります.

電子レンジ

実は,レーダー開発の副産品が,みなさんのご家庭にもある電子レンジです.

こんな逸話があります.

あるアメリカ技術者が,レーダー開発の研究のため電波を出していたところ,ふと気がつくと,服のポケットに入れていたチョコレートが溶けていた.そこで,電波がものを温める作用があることに気がつき,電波を使ってものを温める機械,いまの電子レンジを開発したのだそうです.

さて,電子レンジの試作機が出来上がると,試運転に何を温めようか,ということになります.

そこで名誉ある第一号に選ばれたのが,ポップコーンでした.これは大成功.

ところが,続いて第二号として,「ゆで卵を作ろう」と生卵を入れてしまったのだそうです.電子レンジに生卵を入れてチンするとどうなるのか…….結果は,皆さんお察しの通りであります.

ちなみに,電子レンジを英語でいうと「microwave oven」.縮めて「microwave」とも呼ばれます.この呼び名は,電波を使っていることがよく分かりますね.

戦後の無線利用の進化

戦後,電波を生成する回路素子の技術向上により,無線通信の幅は一気に拡大します.

もっとも革新的だったのは,トランジスタの登場でありましょう.これは,従来の真空管を置き換えるもので,真空管に比べはるかに小型で,また電池程度の電圧で動作できるので,電波利用の幅が一気に拡大しました.

このトランジスタの登場により,1954年にはアメリカで,翌1955年には日本で,ポケットラジオが発売されます.この日本のポケットラジオは,東京通信工業という会社から発売されました.東京通信工業はトランジスタラジオの成功を機に成長を続け,いまのソニーの礎となりました.

真空管と半導体

アナログテレビ と FM ラジオ

AMラジオを紹介しましたから,テレビ放送と FM ラジオにも触れておきましょう.

アナログテレビは,実は意外と歴史が古く,20世紀初頭には欧米で実験が進められていました.1929年にはイギリスとドイツでテレビの実験放送が始まっていますし,日本でも1939年にNHKが実験放送を開始しています(本放送開始は戦争をまたいだ1953年).1950年代後半以降になると,日本を含む世界各地でカラー放送が開始されていきました.

また,1964年の東京オリンピック開催は,国内の家庭へテレビ受像機が普及する,よい契機となりました.当時カラーテレビはまだ高価で,多くの家庭がモノクロテレビだったそうですが,それでも普及率が87.8%あったそうですから,ものすごいことです.

一方,FMラジオは,実はアナログテレビの音声部分とほとんど同じ仕組みなのですが,その歴史はテレビよりも浅く,国内での本放送の開始は1969年まで待つことになります.AMラジオより地形の影響を受けやすく限られた地域でしか聞こえないのが難点ですが,ノイズが少なく,音質が良いため,カーラジオや店舗のBGM等でよく利用されています.現在では,AMラジオの放送をFMラジオで聞けるようにする「ワイドFM」が都市部で始まっています.

アナログからデジタルへ

トランジスタの他に,もう一つ,戦後画期的だったのは,コンピューターの登場と進化です.これにより,デジタルデータを送ったり受け取ったりする,「デジタル通信」が飛躍的に進歩します.

なかでも,パケット通信と呼ばれるコンピューターを用いたデジタル通信では,データを小分けにして(パケット = packet = 小包),回線を通して通信します.これは1960年代より提唱されている比較的古いアイデアですが,現代のインターネットでも使われている極めて優れた方式です.

1970年代以降,パケット通信の実験が各地で進められます.電話回線を通した実験が主流でしたが,日本のアマチュア無線家のなかには,無線通信を使ってこれを実験したグループもありました.彼らの功績によって,いまのインターネットの基礎が築かれたのです.

また,2011年7月に,テレビ放送が,地上アナログ放送から地上デジタル放送,「地デジ」に切り替わったのは,まだ記憶の新しいところかと思います.カメラの映像と音声を瞬時にデータ化出来るコンピューターの性能,そのデータを映像と音声に直す小型なコンピューター(これはテレビに組み込まれているのです!),そしてこれらコンピューター機器を低価格に作れる生産技術,この3点がなければ,高画質で多情報な「地デジ」は為し得なかったことでしょう.

アナログとデジタルの違い

そもそも,アナログとデジタルは,何が違うのでしょうか.

時計や体重計,車のスピードメーターにも,針のある「アナログ」と,数字が表示される「デジタル」があるのは,皆さん知っていると思います.わかりやすく説明するために,1キログラム刻みで目盛りが振ってある体重計を考えてみましょう.

アナログ式体重計では,針は目盛りの「間」を指すことがあり,連続的に動きます.アナログ体重計なら,50と51の間を指していれば,「50.5キログラムくらいだな」と大体分かります.言ってみれば,入力(体重計に乗った人間の重さ)に対して忠実に出力(針の振れ)してくれるのが,アナログです.

一方デジタル式では,50という目盛りの次は49か51で,その間の重さのものを乗せても,値は四捨五入されてしまいます.49,50,51,それより細かい情報を読み取ることはできません.扱える情報が,離散(とびとび)していて,入力に忠実ではないのです.

もう一つの例を上げてみましょう.

今みなさんが見ているウェブページ上の「色」は,約1678万色分が「目盛り」として用意されているうちから選んだものを表示しています.これがコンピューターで扱える「デジタル」です.しかし,実際身の回りにある「色」は,1678万種類どころではなく,無限にあるはずです.

この「連続」と「離散」,或いは「無限」と「有限」が,アナログとデジタルを考えるときのキーワードです.

このように書くと,デジタルが悪いように思えます.しかし,デジタルの最大の利点は,どんなもの(音,映像,電子データ,……)でも,一旦「目盛り」を刻んで「離散」させてしまえば,それを数字の列に置き換えて,コンピューターで扱うことが出来る,ということです.そして,その数字の列を電気信号や電波に乗せて,遠くに送ることもできるのです.

また,無線通信の技術的な面では,デジタル通信にいろいろと利点があります.アナログな方法で音や映像を送るより,デジタルに(音や映像を表した)数字の列を送るほうが,効率が良くなったり,ノイズが少なくなったり,アナログでは通信が難しかった遠方の相手とも通信できるようになったりします.

今回の,アマチュア無線ライブ配信では,アナログ通信とデジタル通信の両方をお見せします.お楽しみに.

スマホの時代へ,そしてこれから.

21世紀も20年が経ち,いまやほぼ全ての人がスマートフォンを手にしている時代です.これをご覧になっている皆さんも,いま,まさに手に持っているのかもしれませんね.

そのスマートフォン,実は無線通信のかたまりであるのに,お気づきでしょうか.

もっともっとあるかもしれません.そして,これから更に増えていくことでしょう.

デジタル通信の改良により,いまや誰でも,大容量で高速な通信を使えるようになりました.途中にインターネット回線を挟めば,世界中との通信も簡単です.あるいは,人工衛星を介して,宇宙を相手にすることも出来ます.コンピューターが更に高性能・小型になれば,これまで思いつきもしなかった使い道だって,手のひらサイズ以下で出来るようになるかもしれません.

電波の可能性は無限大です.是非,未来で,電波がどのように使われていくか,考えてみてください.

あなたは,無線と電波の世界で,どんな夢を描きますか?

参考

Wikipedia 各項目(日本語版,英語版).